徒然バオバブ 1 学問とか世界とか

 すべての人間は、特に地理的範囲によって定められる分野において等しく天才的記憶量を持っていると思われる。例えばスペインのサラマンカ市に住む人は日本人のスペイン研究者より、その市について商業や治安、政情などについての詳しい情報を持っているだろう。

 しかしこれらの情報が日本に住む人に伝わらない理由は、1に資料の記述に対する知識、時間、資金の不足、それがないとしても2に資料の伝達手段である言語の差異、それに対して資料の受け取り手にその言語の知識があったとしても3に受け取り手の資料へのアクセス手段の欠如が挙げられる。しかし近年の技術進歩によってこれらの障壁は無くなるか、低くなりつつある。第一の障壁は口頭で映像も入れて伝えられるインスタグラムなどのサービスの登場によって、第二の障壁は人工知能なども利用した高速度かつ高精度の機械翻訳によって、第三の障壁はワールドワイドウェブ検索エンジンによって膨大な量のデータのあるデータベースへのアクセス手段が生まれた事によってである。これらのことから世界のどのような地域でもインターネット環境を使えるようにすることは、学術的にも大いに求められる事ではないだろうか。

 現に日本国内に限ってもSNSや匿名掲示板上で「特定」が可能になっているのは(その是非は別にして)いくつもの異なる知識分野を持つ人間が一つの目的達成のため集まりそれぞれの知識を発揮することで、擬似的にすべての知識分野に深い造詣を有する「超人」が生まれることもあると思う。この集合知の発生が世界規模でなされた時、すなわち今の78億の人口が単一の知識伝達媒体にアクセスできた時、どれほどの学術的インパクトが生まれるだろうか。

 また一般の人間だけでなく、幸運にも拾われたインドの天才ラマヌジャンと違い、天才の素質を持ちながらそれを発揮する機会に遭わず貧窮の中で死んでいく「ラマヌジャンの原石」が今の世界にどれほどいるだろうか、その人たちを掘り起こせたなら学術的インパクトは更に大きなものになるだろう。

 振り返ってみるとこれまでの産業革命イノベーションは少年期の学習の機会を奪ったり、産業に必要とする分野のみの知識を詰め込む教育に義務教育から高等教育までを変質させたりと学問の真の自由、楽しさを脅かして来たが、これからの第四次か第五次産業革命は学問を推進する力になるかもしれない。